「大日本帝國憲法」入門【イズミの書評#55】

まえがき:維新二十三年後の悲願

前回の書評が確か、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」でしたので、ギャップがひどいひどい…。幻想の世界から現実の、それも一番デリケートな部分を扱うのですからねえ…。

なんとなく扱う本のバランスはとりたいと思っているってことですよ、ね?

…冗談はこれくらいにしておいて、本題に映りましょう。大日本帝国憲法。明治23年に施行された、事実上アジア初の近代憲法ということになります。昭和22年に、今の憲法である「日本国憲法」が施行されるまで、ずっと日本の憲法として成立していました。

その結末は、実に悲惨なものでした。満州事変、日中戦争の泥沼化から始まる大戦は、敵味方双方に命を失わせる結果となり、今でも歴史認識からなる遺恨を残す結果となっています。戦争は物理的には終わりましたが、まだ人々の心の中で継続しているのかもしれません。

現在、大日本帝国憲法と日本国憲法は論壇で検証されています。過去の憲法が正しかったのかそうでなかったのかといった単純な視点からの議論に始まり、作成当時、誰が主役となったのか、どのような他の文章が影響を与えたのかなど、研究者の魅力をひきつけてやまない代物でもあるのです。もちろん、そうした議論は単純な歴史学の議論ではなく、当然現代の政治に紐づけられ、泥沼の論争が繰り広げられるに至っています。

しかし、明治二十三年当時、新憲法は希望をもって人々に迎えられました。当時、近代憲法の存在は強大な欧米列強と肩を並べるために、必ず必要なことでした。憲法は、自らの国の自己紹介の様なものです。憲法がなければその国の政治体制も良く分からないということになります。欧米列強が幕末に徳川幕府が結んだ不平等条約改正の悲願を達成するための、必須項目でもありました。

今の憲法を学ぶためにも、まずはその前身を見なければなりません。それでは見ていきましょう。

第一章 天皇

大日本帝国憲法の中で最も特徴的なことは、天皇の扱いにあります。

第一条:大日本帝国ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス

第三条:天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

大日本帝国は、昔からずっと続いている「万世一系」の天皇が統治することを示したのです。そして、天皇は神聖であり決して侵してはならない。これは不敬罪の根拠にもなりました。

この憲法の下では、天皇は多くの権利を有していました。これを「天皇大権」と呼びます。この章では天皇が国の中でどんな立ち位置で、どんな権利を持っているかを明らかにしたものなのですね。他にはどんな権利があるのか見ていきましょう。

第八条:天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス

此ノ勅令ハ次ノ會期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ將來ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ

これは、「緊急条項」と呼ばれるものです。他の条文と比べて長いので、現代語に直してみようと思います。

天皇は、公共の安全を守るため、または災害を避けるために緊急の必要によって議会を閉会する場合、法律と同じ効力を持つ、勅令を発することができる。勅令は次の国会の会期で議会に提出し、承認を得なければならない。もし承認された場合、政府は将来、勅令が効力を失うことを臣民に示さなければならない。

いざ戦争や政変があったときに、天皇の名において命令を発することができるとしたのです。これは大日本帝国憲法下でかなりの回数、使用されることとなりました。

第十一条:天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス

第十三条:天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス

そして、天皇は陸海軍を統帥します。これを「統帥権」と呼び、天皇は大日本帝国陸軍、大日本帝国海軍の行動の決定権を持つ、「大元帥」なのです。

この条文は、昭和初期に軍部に悪用されることになります。軍部は「軍部は天皇から統帥権を預かっている存在である。したがって、軍部の起こす行動は総理大臣や議会に制限されることはない」と考えました。

これにより、軍部が行動し、後に議会が追認する、といった事態も起こるようになりました。満州事変や日中戦争で、軍部が政府の意向に従わずに戦線を広げていったことの原因でもあります。

また、天皇は宣戦布告の権利と条約を締結する権利も有していました。日清戦争や日露戦争の際の宣戦布告の文章は、時の天皇の名義で行われたのですね。

このように、天皇には大きな権限が与えられていました。しかし、慣例上天皇が直接政治を動かすことはわずかな例外を除けばなく、総理大臣や議会、軍部が天皇に具体案を提案して、天皇が権利を以て承認する、という形になっていたそうです。

これを「輔弼(ほひつ)」と呼びます。法律なら議会、軍なら陸軍海軍といった具合に、天皇の権利の施行に齟齬がないように、法律案を考えたり、軍の作戦の立案が行われました。これがもう一つの、大日本帝国憲法の大きな特徴になります。

以上が、第一章の概ねの解説となります。

第二章 臣民権利義務

つづいて、臣民の権利義務について書かれた章です。「国民」ではなく、「臣民」です。「臣民」とは、天皇の家来であるということです。以前は農民、商人、武士などの身分制度がありましたが、これにより、みんな平等に天皇の家来になりました。

第二十条:日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス

第二十一条:日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ納税ノ義務ヲ有ス

まずは義務からです。兵役の義務と、納税の義務を国民に課しました。

兵役の義務は、現代の日本国憲法にはもちろんないことですね。この条文により、「赤紙」が家に届いてお父さんやお兄ちゃんが出征しに行くということが発生することになりました。

納税の義務は、今の日本国憲法にもあることですね。ほかの多くの国にもあります。

第二十二条:日本臣民ハ法律ノ範囲內ニ於テ居住及移動ノ自由ヲ有ス

第二十三条:日本臣民ハ法律ニ依ルニ非スシテ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナシ

第二十四条:日本臣民ハ法律ニ定メタル裁判官ノ裁判ヲ受クルノ権ヲ奪ハルヽコトナシ

つづいて権利です。江戸時代、人々は自由に日本列島を移動することができませんでした。箱根の関所が有名ですね。移動は権力によって妨げられていたのです。それを憲法では制定しました。今では当たり前のことですが、当時は新鮮なことだったのかもしれません。

そして、法律に書いていないにも関わらず、逮捕されたり監禁されたりすることはないとも、定められました。そして裁判を受ける権利も保証しました。こうしたことも、文章にされたのは日本史上初めてのことでした。

第二十八条:日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス

第二十九条:日本臣民ハ法律ノ範囲內ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス

さらに、信教の自由も保証しました。江戸時代、キリスト教の弾圧は多くの悲劇を生むことになりました。それが明治の世に、キリスト教は保証されることとなったのです。キリスト教信者にとっては約250年ぶりの夜明けということになります。

そして、「法律の範囲において」政治的な発言をしたり、広場に集まったり、組織を作る自由を認めました。

第三十一条:本章ニ揭ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ

最後の条文は、かなり大日本帝国憲法の特徴を示しています。これは「非常大権」と呼ばれるもので、戦時や、国が政治的に変動が起こった場合、臣民の権利は天皇により制限される場合があるということです。

実際にこの大権が施行されることはありませんでしたが、天皇に権利が集中するという大日本帝国憲法の特徴が実によくあらわれているため、記しておきます。

その他

その後、第三章で議会、第四章で国務大臣、第五章に司法、第六章に会計、第七章に補足と続きます。かなり具体的なことなので解説は省くので、興味のある人は調べてみてください。

議会だけ触れておきます。

第三十三条:帝國議会ハ貴族院衆議院ノ両院ヲ以テ成立ス

第三十四条:貴族院ハ貴族院令ノ定ムル所ニ依リ皇族華族及勅任セラレタル議員ヲ以テ組織ス

第三十五条:衆議院ハ選挙法ノ定ムル所ニ依リ公選セラレタル議員ヲ以テ組織ス

現在の日本では、議会は「参議院」「衆議院」に分かれていますね。どちらも国民の選挙でえらばれます。

しかし、大日本帝国憲法下では、「衆議院」のほかに「貴族院」がありました。衆議院は選挙権を持つ人による選挙で決まりましたが、「貴族院」は第三十四条に書かれた通り、国の任命で決まりました。解散もなく、ほとんどが終身議員だったそうです。また、党に属することもありませんでした。

貴族院は時代時代ごとに、様々な役割を果たしました。特権階級により構成されていたため、かなり保守的な性格だったようです。しかし憲法により守られていたため政府や軍に対して臆することもなく、方針に堂々と反対することも少なくなかったようです。

あとがき:大日本帝國憲法は正義か、悪か?

これが大日本帝国憲法の、おおよその中身ということになります。天皇にかなりの権利を集中させている文章ということが分かりますね。しかし、天皇の権利は天皇が直接施行するのではなく、常に総理大臣や軍部が代わりに行うという形でした。

この「天皇大権」、特に「統帥権」が、昭和初期に軍部が悪用することになったということはすでに描いた通りです。昭和初期、政府の意向に反し、軍部は中国大陸で戦線を広げ、日中戦争を起こすに至りました。この戦争はやがてアメリカ、イギリスとの戦争にもつながり、帝国が滅びる起因を作りました。

こういうことを呼び起こしたと、大日本帝国憲法を厳しく批判する人もいます。しかし、一方で大日本帝国憲法を肯定的にとらえている人もいるのです。

彼らの言い分は、憲法の先進性です。法律の範囲内とはいえ言論の自由、信教の自由、移動の自由などを保証した立憲君主制の憲法を成立させた国は、アジアでは実質、日本が初めてでした。これらは当時としては極めて先進的で、また、言論の自由が保障され、ある程度臣民の間でも政治議論が許されていたという点では十分、民主的だったのではないかという意見です(意見の論拠の一つに、大正時代、かなり開放的に日本中で政治議論がなされていたというものがある。これを「大正デモクラシー」と呼ぶ)

このような議論が起こるのは当然のことです。何しろ、アジアでは初めての憲法。文章にはかなりの欠陥がありました。例えば天皇が権利を施行する際に政府のサポートを得る、といったルールがありましたが、具体的にどれこれどう、といったことが決められていませんでした。また憲法上、内閣と内閣総理大臣を定義づける文章もありませんでした。

つまり、慣例で運営されていた部分があったのです。慣例で上手くいっていればよかったのですが、実際には戦争と敗北、大日本帝国の終焉という結末でした。これでは当然、議論も起きます。それは現代も続いています。

しかし、これらの議論は、現代の政治議論と結び付けられます。大日本帝国憲法を評価すると「この右が!」と言われたり、否定すると「この左が!」と言われるいった具合にです。こんなことでは有効な議論になりません。

歴史とは面白いものなのです。

「大日本帝国憲法は民主的か?」

実に興味深い議論ではありませんか。一度現代の政治的なしがらみを捨てて、のびのびと議論をしてみませんか?そっちのほうが興味深いし、なにより喧嘩しなくて済みますよ、皆さん。

「大日本帝国憲法」全文はコチラ。合法かつ無料です。超細かいところを除けば、他は信頼していいと思います。

青空文庫:https://www.aozora.gr.jp/cards/001528/files/825.html

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