木下斉「稼ぐまちが地方を変える」【イズミの書評#62】

はじめに:「地方創生」という曖昧な言葉

 地方創生という極めて抽象的な言葉が流行り始めてからもう10年くらいは過ぎたでしょうか。この言葉は喋るとすぐですが、実行に移すには大変な苦労を伴う言葉でもあります。実際、国や自治体、企業にボランティアとたくさんの人々が「地方創生」に取り組んでいますが結果は芳しくないようです。

 そもそも「地方創生」のゴールは何なのか、人によって答えが違うのです。霞ヶ関の人々が話す「地方創生」は、過疎化の食い止めと経済の活性化と極めて経済学的な考えです。一方、例えばコミュニティデザインの開発者として地方で名を挙げている山崎亮さんや経済学者の藻谷康介さんなどは、経済成長を地方創生のゴールにしていません。彼らが掲げる地方創生のゴールは、「住民による自治」であったり、また「経済的に自立しつつも、気を抜いて暮らせる地域」であったりします。人口減少は「今の日本は人口が多すぎる」と大歓迎です。

 こういう始末ですから、議論が巻き起こります。何を以てゴールとするのか誰にも分からないのですから当然のことです。そもそも「地方を豊かにしなければならない」「おらが村を復活させねば」という思いは人それぞれです。具体的な街の理想像も違うのですね。

 しかし、この方は違います。事業家の木下斉さんです。彼は高校在学中から起業し、実際に社会の荒波に揉まれる中で地方創生のノウハウを体で身に着けていきました。今では全国で自らが投資家となって地方での事業運営に携わっています。

 その中で得た結論はいたって単純。地方活性化の秘訣は、稼ぐことである。稼ぐことこそが地方を豊かにするのだと明確に答えを提示しています。その考えはシンプルであるがゆえに過激。現状の地方活性政策をこれでもかというくらいには批判します。

「経営」こそが地方創生の本質である

 筆者が地域で事業を行う際、もっとも気を付けていることは「まちを一つの会社に見立てる」ということです。

 お金をどこから手に入れるのか。どこにお金を振り分け、どこから利益を得るのか。そして得た利益で、さらにどこにお金を投資するのか。これを町全体で回すことができれば、おのずと街にはお金が満ちていきます。行政もお金を得ることを考えなければなりません。例えば、道路を作る。これは投資です。すると、両脇に住宅地ができ、住民税を手にすることができる。これが投資の回収と利益ですね。

 筆者はこれこそが地方創生の秘訣なのではないかと考えています。したがって会社の経営と同じく、自らの強みや弱み、規模によってその選択肢は無限に広がり、これが良いという方程式などどこにも存在しないということになります。

なぜ、稼がなければならないのか。答えは単純です。

 まちが稼がなければ衰退するというのは、全ての歴史が証明しています。行政が金をばらまくことでなんてことは意味がなく、自分の力で自分が稼ぐことで、真の自律が成り立ちます。

 「あたたかな町」「住みよい街」などはすべてきれいごと。現実を無視した、実りのない愚行です。縮小社会だと何だろうと、あらゆる手段を尽くして稼ぎを生み出さなければ街は滅んでゆくでしょう。

 自分でやりはじめると、自らの責任感によって動くということもメリットの一つです。経営は、常にリスクが伴います。成果を挙げなければ、起業時に借りた借金が返せなくなってしまうかもしれず、皆必死になって働きます。それが借金の分を自治体の補助金によって補うということになったとします。他人の金であるため、必死になる理由もなくなるため何も成果が上がらないのです。

現実に基づき、クリエイティブな提案を行う

 街づくりは、より緊張感を持ちつつ行わなければなりません。例えばアメリカでは、不動産会社に委託されたマネージャーが地域のマネジメントを行いますが、失敗したら容赦なくクビになってしまいます。しかし成果を出せば、他の地域に高給でヘッドハンティングされることもあります。緊張感のある街づくりが、アメリカでは実際に行われています。

それに対し、地域に対する当事者意識が、今の日本には全体的に欠けています。日本の場合、地域復興などは行政の仕事で、市民はやってもらうことが当たり前です。自分たちが住む地域なのに、これは本当に健康的な姿なのでしょうか。

 人々はもっと、行政に対し要求をし、時には提案もしてよいのです。提案の形は、自らの事業という明確な証拠を以て提示しましょう。そうすれば、あとからルールが変わったりするものです。行政も町の経営という視点をもっと持ち、よりセンシティブに民間に対して関わるべきです。

 多くの地域では、これから人口が減少するとともに経済規模も減っていくことが明らかになっています。問題なのは人口減少ではありません。それはある種の宿命のようなもの。問題なのはそれに対応しようとせず、ただただ保守的に日々を送っている人々がいることです。

 それでも新たな生き方は確実にあるはずです。行動は、自分で起こすべきです。賛同者は数人いれば大丈夫でしょう。反対者などは気にしてはいけません。地域と向き合い、そことともに死ぬくらいの覚悟を持った人間こそが地方創生の立役者となるのです。

 ぜひ、この本を読んだあなた方が地元で事業を立ち上げ、自律することを望んでいます。それがお手本となり、他のひとにも必ず波及するはずです。街で稼ぎ、未来へと繋がる生き方を共に模索しようではありませんか。

おわりに:自律ということ

 いかがでしたでしょうか。

 本作では徹底して町全体が「稼ぐ」ということを掲げています。地方創生をテーマにした本で、ここまで明確に地方創生の本質を提示した本はなかなか見ることができません。

 彼の言っていることは至極単純であるため、説得力があります。飯を自力で食わなければならない。稼げなければ、くたばってしまう。だから稼ぐ。それは経済の中で暮らす我々にとって当然のことです。

 また稼ぐとは自律することでもあります。企業は補助金などという甘えに頼ってはいけません。自分の力で、生きる糧を勝ち取っていくのです。自らを律せよ、ということを彼は始終話しているのです。

 この考えは極めてスマートである一方、一部の地方自治体や経済学者などからは批判を受けます。会社の経営者には当たり前のことである「経済的自立」の概念は文化的視点ではしばしば批判の対象になるわけです。世の中は、社会が金を出してあげてでも維持させなければならないものがあるじゃないかという批判です。

 まあ、世の中にはそういうものもあると思います。

 しかし、どれもこれもそんなことでは、首が回らなくなってしまいます。例えば、伝統工芸品。地域の大切な財産です。しかし金がなければ素材を買うことができません。だから何かしらの手段で、成果物を売らなければなりません。

 例えば、大学の研究費です。教授たちに金の稼ぎ方を考えさせていては、いつまでたっても自分のしたい研究ができません。別に金が世の中のすべてではありませんし、それでは世の中のためにはなりません。この場合、国なり企業なりが教授たちに、世の中のためになる研究をしてくださいとお金を渡したほうがうまく回ります。

 この本は、あくまでごく自然なことを話しています。

いつまでも甘えてないで、自分のお尻くらい自分で拭きなさいよと言っているのです。

 しかし、この本は発売当初、地方創生に携わる人々に大きな驚きをもって迎えられたそうです。もし地方創生に携わる人々が、補助金の振り分けや人とのお付き合いばかりを考え、地方を自律させることを頭に入れていなかったのだとしたら、それは大変悲しいことでもあります。

 その場合は地方創生云々以前に、自分たちが資本主義社会の中で生きているということを理解していないということになります。

木下斉「稼ぐまちが地方を変える」2015年5月,NHK出版新書