【イズミの書評:特別編】「ホリエモン祭り」を振り返って

はじめに:評価が割れる男

 先日、大分県別府市で開かれた「ホリエモン祭りin別府:僕たちはもう働かなくていい」に参加してきました。堀江さんがゲストと話すのをみんなでご飯を食べたりお酒を飲んだりしながらゆっくり聞くというものです。最後にはDJが披露され大層盛り上がりました。講演というよりは、タイトルの通りお祭りに近いですね。とても楽しかったです。

テーマは「僕たちはもう働かなくていい」です。同名の本が発売されており、当日はなされた内容もかなり近いものがありました。今日は本と講演の内容を参考にしながら、堀江さんの考えを読み解くことにチャレンジしたいと思います。

さて、書評をする前に一つだけ明らかにしておかなければならないことがあります。彼は「リバタリアン」「拝金主義者」としてあまりにも多くの人から批判されています。そして「時代の先駆者」として称賛もされています。

世の中いろいろな人がいますが、これだけ評価が分かれていることも珍しいのではないでしょうか。

だから私がホリエモン祭りに行くという話をしたら、様々な人から正反対の答えが返ってきました。

「お前はそんなところにいくのか。くだらない奴に会いに行く」

「君も若いのにいい経験を自分から積みに行くんだね。偉いなあ。」

 といった具合です。とにかくホリエモンという人間は、世間に対してこのような印象を与えているようです。

無駄な仕事が多すぎる

 堀江さんは、日ごろから世の中には無駄な仕事が多すぎると思っているようです。

 例えば、コンビニの店員さん(コンビニの店員さんゴメンなさい)。レジ打ちなんかさせても意味がない。そんなものはロボットにでもやらせておけばいいのです。

 これは様々な仕事に当てはまります。猥雑極まりない経理の仕事や、オフィスの掃除。洗濯物をたたむなんて、全てロボットにやらせてしまえばよい。そうすれば人間は浮いた時間を使って、自分のやりたいことをやりたいようにできるではありませんか。

 こう考えてくると、現代日本で行われている仕事の9割は必要なくなるということになります。AIが代わりにやってくれるからです。

 これを批判するなど、愚かなことです。AIや人工知能が人間から仕事を奪ってしまうだとか、人間より知能が優れたAIが人間を排除するようになるのではないかという話についてです。人類のテクノロジーそのものを批判するということは、人間が知性を持つ生き物であるということを批判するということなのですから。

 どうせいくら批判しても技術革新は起こっているのですから、AIの時代はいずれ到来します。私たちは真剣にAIが当たり前になっている時代を見越して物事を考えておいたほうが良いのです。

AIは多動力を持つ

 AIの発展によって、私たちはより自由になれます。例えば家の仕事やビジネスをロボットにやらせておいて、自分はその辺の山でハイキングでもして夜に帰ってくる。家につくとその日にロボットが挙げた利益が自分のものになる。

 こんな未来が、当たり前になります。

 ロボットと人間が心を通わせることも当たり前になるでしょう。すでに人工知能で人間と会話をすることは、ある程度可能になってきます。放っておくと勝手に冗談をしゃべり始めたりするんですよ。きわめて人間らしいのです。

 これを発展させ、人間の意識そのものをAIの中に組み込むということも可能になるでしょう。自分自身を拡張させるのです。

 私たちは自動車やスマホを用いることによって自分の体を拡張させています。自動車は足。スマホは目と耳。五感の拡張が世の中を便利にしているのですね。

 もしコンピューターの中に、自分自身の意識を保存できるようになったら。

 私たちはついに、肉体から解放されて不死の存在となりますね。そして文字通りどこへでも行けるようになります。宇宙にだって行けるようになるかもしれません。

何のために働くのか

 このようにして、世界はどんどん姿を変えていきます。人々が行っていた労働はどんどんAIにとって代わります。身の回りの生活はどんどん、AIが代わりにやってくれるようになります。

 そうなった場合、私たちはもう一度「働くとは何か」ということを問い直すこととなるでしょう。

 生活のために働く、お金のために働くという人が多いかもしれません。しかし、それではAI化の流れに飲み込まれてしまうだけです。

 働くのは楽しいからではないのでしょうか?根源的な意味は、楽しい、好き、という純粋な気持ちではないだろうか。そのような人々にとってAIの時代は、極めて美しく、楽しそうな未来に思えるでしょう。なぜなら今まで仕方なくやっていた仕事をAIに任せて、本当に楽しいことだけをやって過ごせるのですから。労働の必要性が失われた時代では、その環境下であっても何かの行動を起こしている人のみが生き残れることとなります。

 AIは私たちに富を自動生産して人間に利益を与えるようになります。人間は彼らにやることをやってもらって、ただただ好きなことだけをしていればよいのです。やりたいことが見つからなくったって、探していれば社会は支援してくれます。

 私は今、毎日が楽しくてうずうずしています。やりたいことが多すぎるのです。そのために猥雑なものやできないことをすべてAIに受け渡し、できる限りやりたいことをする時間を増やしたいです。

 僕たちはもう、働かなくていいのです。これは何の誇張でもない、ただの事実としてこれからあり続けるでしょう。

おわりに:我々は働かずに済むか?

 以上が、彼が示した「働かなくていい」理由です。

 これは人により、様々な意見が分かれます。まず「AIが仕事を人間から奪った場合に何が起こるか」ということ。これは「サピエンス全史」で知られるユヴァル・ノア・ハラリが興味深い言説を示しています。奪われた人々は価値のない「役立たず世代」となり、雇用不能の、社会にとって無価値の存在になってしまうという説です。その時社会格差は人類史上最大のものとなるであろうとも言っています。

 堀江さんは、この格差社会を肯定しているようです(※1)。彼曰く、「仕事は自分で作るもの」であり、それができない人は「自己責任」だからです。

 ところが…。この考えは社会学の観点からはかなり批判されます。格差が増大するということは、相対的に貧乏人が増えるということです。端的に言えば、一部の人が金持ちになって富を独占するのは、人間としてよろしくないのではないかということです。

 この意見は極めて市場原理に基づけば正しく、当然の考えなのです。資本主義に立つ限り、格差は増え続けるということは明らかになっています。

 そうなった場合、貧乏になってしまった人たちは自分の身の回りを楽にするAIを手に入れることができるのでしょうか?ひょっとすると、お金がなくて手に入れることができないかもしれませんね。

 さらに、金がないのは「自己責任」という考え。これは文化人類学の観点から批判されます。その考えは「自己中心主義」ではないかということです。この考えに立つと、成功者は失敗者に何もする必要がないのです。なぜなら失敗者が失敗したのは自己責任だからです。

その考えは他人のことを考えず、自分が良ければよろしいということではないかということに、裏を返せばなってしまいます。それは如何なものか、という批判が一方で存在します。

 私は堀江さんの主張と、それに対する反論にここで結論を述べることはあえていたしません。そのほうが、面白いのではないかと思っているからです。

 さて、あなたは堀江さんの考えについて、どう思われるでしょうか?人によって大きく意見が分かれると思います。しかしながら、それが思考の世界においては極めて面白いことなのです。対立もまた、知が深まる良い機会ですからね。

参考文献

堀江貴文「僕たちはもう働かなくていい」2019年1月,小学館新書

堀江貴文/西野亮廣「バカとつき合うな」2018年10月,徳間書店

※1情報ソースは下の二つのリンクから

https://www.j-cast.com/2014/01/30195564.html

https://dot.asahi.com/wa/2015040800110.html